生まれてから今まで
なにかしら人とのやり取りがつきもので
そのベースは、やはり母親となります。
今の生きづらさは親のせい
愛着障害
毒母
そんな話をずいぶんと聞くようになりました。
自分がどれだけつらかったか
寂しかったか
吐き出しも必要だと思います。
カタルシスといって心を浄化する作用があるからです。
でも、そのことに執着して動けなくなる危険性があると私は感じています。
吐き出しは専門家のところで行った方がいいと私は思います。
私は全くその危険性を感じずに延々と家族に八つ当たりをしてきました。
それが夫の鬱をこじらせ、子どもたちの不登校を長引かせていったんだなと思います。
いくら目の前の家族が大変な状態でも、私はもっと大変だったというフィルターで見ているので、家族を見ていても気持ちが動かないんです。
家族をサポートするいろいろな手段はあると思いますが、あらゆる手を使って家族が変わりつつあっても、最終的に見放すような行為、放置、無視が行われたら
一気に崩れます。
見放す行為
見放す、放置、無視は分かりづらいところでもあります。
わかりやすいのは、返事をしないということ。
これはやっている側からすると、自分の不安にグルグルしていたり、ほかのことに気持ちが囚われていることで起きていることだと思うのですが
無意識で意図的におこなっている場合があり、それをされた側は気持ちが止まってしまいます。
細かいことなのですが、そのような細かいことの積み重ねが、された側からすると大きな空虚になっていきます。
そして子どもの頃からそのようなやり取りが自分のベースになっていき出来あがってしまった空虚はなかなか埋められず
人の顔色を見たり、返事ひとつで気持ちがブレたり、すごく人付き合いが苦手になってくたくたに疲れてしまいます。
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