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認知を奪われてきた人たち

生きづらさ
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認知とは、知って認めるという言葉

一般では、母子関係で自分という存在を普通に認められている状態が当たり前ですが、そうではない母子関係で育っている人たちもいます。

認知されることを奪われてきた人たちです。

自分が認知されていないということに対してどれだけ自分が理解できているか?
言葉で言うのは簡単ですが、自分の存在が無いということの怖さはひとことでは言えません。

いつも自分が申し訳ない気持ちになる
誰かの言いなりになることが多い
自分で物事が決められない
常に寂しい
なんだか不安
自分がどう扱われているかがとても気になる
評価に過敏
人と話していても考え事をしてしまう
常に不信感がある

どんなに拭おうとしても拭いきれない感覚。
そのことで膨大なエネルギーを毎日消費し続けてしまいます。

ある人は、常に誰かに認められようと一生懸命になります。
ある人は、優越感を得ようとします。
ある人は、誰もが褒めてくれるようなものを所持することで安心を得ようとします。
ある人は、何も考えずに打ち込めることに没頭します。

そうやって仮想の喜びを手にし、認知されていないという感覚を埋めようとします。

ところが、どんな手を使ってもパズルのピースのように、ぴったりとはまらず、自分の「無」が益々つのり、また埋めようとするための新しいものを探してエネルギーを消費し続けることになります。
それは延々と自分を認知して欲しいという執着でもあります。
その執着を持ち続けている限り、追い続けることは終わりません。

そして執着を持ち続け、認知されたいと積み上げてきたエネルギーが、たくさんであればあるほど、手放すことが難しくなります。

そのように認知されることを奪われてきた人たちが、結婚して新しい家庭を得た時、今度はいろんな手段を使って、新しい家族に認知されようとします。
新し家族から認知を得ようとしても、残念ながら得ることが出来ない。
それどころか奪われてきた人を増やすだけのことになってしまいます。

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