楽しいこと、笑うこと
そして、そのことを人と共有すること
それが満足として自分の中に積み重なって安心感となっていきます。
自分の感覚を軸にして人とやりとりすることで
楽しいこと以外でも辛いこと、怒ったこと、悲しいことも
自分のこととして積み重なっていきます。
ところが、対人に恐怖を感じていたり
自分はどうみられているか?
どういう扱いを受けているか?
嫌われているか?
拒否されているか?
そんなところをずっと見続けてコミュニケーションをとっていると
あとで「ねえねえ、こんなことあったよね」
と話題を振られても
(はて、なんのこと?)と思い出すことができません。
自分は受け入れられているか?
どう扱われているか?
に意識が集中し、話のないようは右から左へ抜けていて、やりとりを覚えられないんです。
心の中は常に不安、うわの空。
残念ながらそんなお母さんのもとで育った子どもさんは同じく不安。
共有する楽しみも、見てもらえる安心感もなく
ただぼんやり、うわの空なお母さんを不安な目で追いかけます。
笑う、泣く、怒る、喜ぶ、いじける。
子どもとして普通に出せる感情がわからないまま日時が過ぎていき
ぼんやりとした表情の子どもに育ってしまいます。
ずっとぼんやりしたお母さんなんかもういいやと
お母さんが見てくれることを半ばあきらめ、気持ちをとじていってしまいます。
それでも自分がどう扱われているかが重要なお母さんには、子どもの苦しみが見えません。
それどころか見当違いな優しさで、子どもの心に傷をつけていることもあります。
あるいは、子どもにまで受け入れられているかの確認をとることで、子どもの自立心を奪い取っていることもあります。
今この時間から少しずつでも
自分が好きなこと、嫌いなことを確定して
自分の感覚を信じてみてください。
あ やっぱり好き
あ やっぱりきらーい
それでもいいんです。
自分の意思をうやむやにして人に合わせたり
その場から逃げたりしていないか、自分の心を意識してみてください。
すぐに効果はでませんが、自分の「好き」がはっきりすることで
自分の軸というものが出来上がり
その軸から人とのコミュニケーションをはかっていき
私は嫌いだけどそんな考え方もあるんだ
と違いを感じたり、そして
ココロが通じ合える感覚をつかんでいくことで
いろんな記憶が自分の中に積み重なっていきます。
そして少しずつ比較される不安や孤独になる恐怖から離れていけるようになります。
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