生きづらさの理由を一緒に見つけませんか?

アダルトチルドレン 過保護 過干渉 呪縛のつながり

6つのループ
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1.『お母さんを守らなきゃ』が、わたしを縛る呪文だった

母親の気持ちにずっと寄り添ってきた子どもは、知らず知らずのうちに、自分の“本当の気持ち”を
どこか遠くへ置いてきてしまいます。

最初は、ほんの小さなきっかけでした。


「悲しい」と思いを口に出す前に、「いま、それを言ったらお母さんが困るかも?」という考えが先に浮かぶ。

「いやだ」と感じても、「わがままだと思われるかも」と自分をおさえる。

そうしているうちに、何が好きで、何が嫌いで、何がうれしくて、何がつらいのか――
自分でわからなくなってくるのです。

他人の気持ちには敏感なのに、自分の気持ちには鈍くなる。

誰かが怒っているとすぐに気づけるのに、自分が怒っていることには気づけない。

そうやって、“感じないふり”を重ねるうちに、心は、少しずつ、ゆっくりと、扉を閉ざすようになっていきます。

それは、生きのびるための方法だったのかもしれません。
けれど、扉の向こうに押し込められた自分の本音は、やがて、モヤモヤとなって日々の中にあらわれてきます。

何をしていても、心のどこかが空っぽだったり、ふいに不安になったり、人といても“ひとりぼっち”のような感覚がぬぐえなかったり。

そうして、どこまでが“自分”で、どこからが“母のための自分”なのか、わからなくなってしまうのです。

2.“いい子”でいようとすることの苦しさ

子どもは、とても敏感です。
大人の顔色や空気を、言葉よりも先に感じ取ります。

とくに、愛する母親が不安そうにしていたり、傷ついていたりするのを見たとき――
「これ以上、お母さんを困らせたくない」そうやって、自分の言葉や態度を“調整”を覚えます。

それは、ただの気づかいや優しさではなく、「わたしが“いい子”でいなければ、お母さんが壊れてしまう」そんな恐れが原因かもしれません。

本当は泣きたい時も、笑って。
本当は嫌な時も、にこにこして。
「わたしは大丈夫」と、心とは逆の言葉を口にしてきた人もいるでしょう。

“いい子”でいることは、ほめられることかもしれません。
でもその裏には、“ほんとうの自分”を押し殺さなければならない、静かな苦しさがずっと隠れていたのです。


・母親との距離感を、自分で調整できなくなること

“母の気持ちを察する”ことに慣れすぎると、どこまでが「自分」で、どこまでが「母」なのか、
境目があいまいになっていきます。

「これ、わたしが本当にやりたいことだっけ?」
「これって、お母さんが喜ぶからやってるだけかも」
そう感じる瞬間があっても、すぐにその感覚を打ち消す――
そんなことを、何度もくり返してきたかもしれません。

“お母さんの期待”や“お母さんの不安”が、まるで自分自身の感情のように心に入り込んでくる。

そしてその距離感のくるいは、大人になっても尾を引き、自分の感情や判断が自分のものか、わからなくなるのです。

母を遠ざけることは「裏切り」のように感じられてしまい、近づきすぎると「息ができない」と感じてしまう。
それはとても、苦しく、さみしい、葛藤です。


・人間関係や社会との間に壁を感じる

母親との関係に強く巻き込まれて生きてきた人ほど、“他の誰か”と関係を築くことに、無意識の戸惑いを抱えることがあります。

何を話していいかわからない。
本音を見せたら、嫌われる気がする。
相手の顔色ばかりをうかがって、自分を出せなくなる。

それはまるで、社会という場所が“遠くて分厚いガラス越し”のような感覚です。

近づきたいけど、うまくやれない。
関わりたいけど、怖い。

壁の向こうでは、たくさんの人が当たり前に笑い合っていて、それを見ている自分だけが、どこか“外側”にいるような気がしてしまう。

けれどその感覚の裏には、「人とつながること」に対する深い傷つきと、「つつながったら、また傷つくかも…?」という不安があるのかもしれません。


こうした経験は、誰かに説明しようとしても、「いい子だったんでしょ」「親を大事にしてただけじゃないの?」と、簡単に受け取られてしまうことがあります。

でも、だからこそ今、その痛みに名前を与え、「わたしはここにいたんだ」と、静かに気づいていくことが、癒しのはじまりなのです。

3.母の期待に応え続ける苦しみ、その先に見えた“自分を否定する”感覚

過保護や過干渉の呪縛の中で、子どもたちは無意識に母親の気持ちを先読みし、母親の期待に応えようと必死に努力してきました。
しかし、その努力が報われず、正解が見つからないまま混乱と不安が積み重なり、心はどんどんと疲弊し、その結果、母子癒着が深まり、家庭内で閉じ込められるような感覚に陥る。

こうした状態が続くと、次に訪れるのは「否定される感覚」です。
過保護過干渉の中で育った子どもたちは、常に母親の顔色をうかがい、求められる正解を探すうちに、自分の意思を見失っていきます。
「これでいいのか?」と疑問を持ちながらも、何度も繰り返される混乱と不安に耐え、自己肯定感を失っていくのです。

この状態が続けば、子どもたちは次第に「聞きたくない」と感じ、心の中でその不安や混乱から逃れるために耳を塞ぐようになります。
それが、心の変化や不登校などの症状として現れることにつながることも。

この「否定される感覚」を持つ子どもたちが増えていったのはなぜでしょう。その理由の一つは、無意識のうちに繊細な先読みをする習慣が身につき、それが他の子どもたちとの間でも繋がり、さらに強くなっていったからだと考えられます。
互いに拒絶される恐怖を感じながら、次第に“探り合い”や“処罰”のような関係が、やがて生まれます。

次回では、こうした「否定される感覚」を抱えながら育った子どもたちが、どのようにして自分の意思を失い、心の中でどんな変化が起こるのかを深掘りしていきます。
この解説を通して、より多くの人が「どうして自分を否定してしまうのか」その背景にある深い痛みに気づき、少しでも癒されるきっかけを得られることを願っています。

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