生きづらさ アダルトチルドレンの滑稽(こっけい)
滑稽とはどういうことをいうのでしょうか
もしこの記事を読んで、あ!それ知ってると思われた方がいらっしゃったら、コメントしてもらいたいなと思います。
リンス事件
私の場合の例をあげますね。
私の実家は家の事情(割愛します^^;)で
毎年1週間以上、続けてお風呂に入れない時期がありました。
しかもそれは春先で、思春期の頃の私は(自分が臭うのではないか?)と恥ずかしくて、こっそり髪にリンスをつけて学校に行ったんです。
家のお風呂にシャワーなんてついていないし、だからといって他にも何か出来ることがあったんじゃないか?と、今でこそ考えられそうなのですが
髪にリンスをつける行為は、その頃の私の浅知恵でやった事なのですが、運悪く(ただ、周りが見えてないだけなのですが)その日は学校のプール開きの日だったんです。
さて、私がどうなったか想像してみてください。
髪を濡らした時に、私の髪から流れる白い液・・・・
友達に「何それ!?」とびっくりされて
「あっ、リンス流してくるのをわすれた~!」
と、私は咄嗟に嘘をついたんです。その後の記憶は、全くありません。
その後、何それ?と聞いてきた友達から、その事件が話題に出ることもありませんでした。
そのことは、友達の思いやりだったのか
それとも周りでコソコソ言われていても、自分はそしらぬ顔をしていたのか、記憶が全くありません。
アダルトチルドレンが過去の事を言葉にできない辛さ
私がこの事を自分の口で初めて話したのは、自分が受けている「あなここ」セッションの中でした。
初めてこの事件を口にした時は、嗚咽まじりでなかなか言葉に出来ず、やっとの思いで言葉にする事が出来たんです。
その後、何回も、何回も、この件についてはセッションで話す機会がありました。
今でこそ、「あんときは、ほんと恥ずかしかったわ」と、ひっかかりなく話す事が出来ますが、
初めて口にした時のあの感覚・・・
言いたくても、言葉にならなかったのです。
だからといって、まるでその事を大切な秘密みたいに守っていたか?と言うと、そうでもないんですね。
頭の隅っこにはあるけど、あえて口にすることでもないよなーという感じです。
アダルトチルドレンの行動に滑稽が生まれるのはどうしてだろう?
そこで、タイトルの滑稽に戻るのですが
このACの持ち合わせている滑稽というものは
外では言えないような家庭のルールと、世間とのあまりにもの違いを、その時々で滑稽(先ほどの例でいうと、咄嗟に嘘をつく行為)という形で、その場をしのぐための逃げる行為なのではないかと思います。
しかも、その行為は周りから見たら常識ハズレな驚くような行為。
そしてその行為は、小さな…恐らく自分と他人の区別が出来るようになった年頃から、周りの反応を意識してやっている事なので、本人には全く自覚出来なくなっているのでは無いでしょうか?
驚かせたことによる、してやったり感もあります。
注目を浴びることができたとか、マウントをとれたと勘違い、あとは、隠し通せたつもり等も当てはまります。
アダルトチルドレンが、自分の滑稽を認めたらどうなる?
滑稽だったら、それをやめればいいじゃないのかという考えもあります。
ですが、滑稽を認めてしまえば、物心ついてから今までずっと行ってきた行為の全てをひっくり返さないといけなくなり
周りと関わったことで感じる自分の家との違いによる違和感や成育歴の違和感
気付かない様に、ばれないように、外に出さないよう守ってきたことを認めることになってしまう。
そんなことできるわけがないと、自分のやっていることを認めたくなくて堂々としてる、してるようにも見えます。
そして、その場から逃げ出したり、誰かを悪者にしたり、自分をもっとへりくだらせたり、媚びたりして、現実からは目を背ける…
それが、何故この人はわからないんだろうと周りから思われることになっているのかもしれません。
アダルトチルドレンの滑稽な日常
私のリンス事件の話のみで考えれば一つのエピソードですが、アダルトチルドレンにとってこのような滑稽さはいくつもあります。
家族と外部の間で感じたことを胡麻化す為に行われていた滑稽な行動が日常だった、というのがAC(アダルトチルドレン)の生育歴になるのだと思います。
周りとのズレを人に言えず、言い訳もせず、つじつまが合わなくなって逃げ出し、そんなことを幾重にも重ね、諦めていることにも気が付かなくなり、心は世間からどんどん遠ざかって、ただ抜け殻のような自分が人と関わっている感覚に陥っている人、理解してもらえる人もおらず孤独になっている人
思ったより沢山おられるのではないかと思います。
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